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Movie Review 2000・1月21日(FRI.)

さゆり

文藝春秋刊:アーサー・ゴールデン/小川高義

 この作品の存在を知ったのは、昨春ごろだっただろうか。木屋町の小さなバーで隣り合った英国人が、「芸者を知っているか」と言う。初めて日本に来て「芸者に会いたい」というのはわからんでもない話なので、「京都にはたくさんいるよ」と答えると、「違う、さゆりを知っているかと聞いているのだ」と切り返された。え〜、そんなフツーの名前の芸妓さんなんていてはる?? そう思案しかけたとき、やっと、それが書物のタイトルだとわかった。「ぼくの知り合いはみんな読んだ。さゆりはとても有名な芸者のはずだよ。日本人なのに、読んでないの?」

 翌日さっそく調べてみると、全米で 200 万部を越える売れ行きの大ベストセラーなんだという。半年経って、ようやく日本語版が発売されたので手に取ると、オビには「スピルバーグ映画化!」とまで書いてある。あの夜、私の「全然知らな〜い」のひとことに、彼が、やたらと心外な表情だったのもしょうがないか。

 オランダ系の歴史家が、元はさゆりという芸者で今はニューヨークに住む日本人女性を取材したメモワール、という設定。そのいきさつや趣向を解説する「訳者覚書」から始まって、物語部分は坂本千代=のちに芸者として新田さゆりと名乗ることになる女性が、主人公であると同時に語り手を担う。が、実は、彼女(さゆり)は実在の女性ではなく、それどころか巻頭の「訳者覚書」を書いている歴史家自体、著者(アーサー・ゴールデン)の創作した架空の人物だ。

 物語そのもののストーリー性や力強さもさることながら、このあたりの仕掛けが面白い。著者は、ニューヨーク・タイムズのオーナーであるサルツバーガー家のご子息。ハーヴァード大学在学中に日本を訪れたり、コロンビア大学で日本学の修士号を取ったあと 14 ヶ月ほど日本で働いたりしたこともある日本贔屓の作家さんらしい。geisha を題材にしながら、従来型の花柳小説とせずして花街の女の半生を描いた彼の手法の根底には、「私はジャーナリストの家系に生まれ育ちましたので、書いたものを読んでくださる方々に誤解をあたえてはいけないという考えが身についていますから、なおさら正確さにこだわったのでもあります」(『さゆり 下巻』謝辞より引用)という、異文化を見つめる真摯なまなざしがある。

 また、この日本版には、当然本当の訳者が存在するわけだが、京都人にとってはまず気になる「祇園で芸者ってどういうこと !?」の矛盾も、「訳者あとがき」できちんと解説をされている。本文中、舞妓と芸妓、芸者(東京)と芸妓(京都)、置屋(東京)と屋形(京都)…などに関して、原著で足らない部分をさりげなくちゃんと補っていらっしゃるのが素晴らしい。花柳界ならではの言い回しや用語使い、はんなりと流暢な京都弁なども、この訳者・小川高義さんの手腕によるところが大きいと思われる。

 そうなった上で見ると、世界数百万の読者の中でも、京都人だけは、この小説をひと味違ったものとして読み込めるのではなかろうか。原著を読む外国人よりも、訳文を読む日本人、日本人の中でも京都人が優位だ。第一、主役のさゆり、何かにつけさゆりを助けてくれる名妓の豆葉姉さん、気ぃの強いおかあさん、意地の悪そうな憎まれ役のべっぴん芸妓・初桃…彼女たちの言葉を、ちゃんと耳で聞き取ることできるのは、唯一京都人だけの特権でしょう?

 人生や恋の切なさに満ちて、華やかさもあり、最後の最後にちょっとしたからくりもあったりして、物語としての読み応えもたっぷり。どうぞどうぞ、一回、読んどぉみやす。

maki Original: 2000-Jan-21;

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