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Text by 小川顕太郎
2006年01月22日(Sun)

杉浦日向子
読書・文学

 ワリイシさん来店。「これ面白かつたから、もし読んでゐなかつたら是非。どぜうの話も出てきますよ」と言つて、『大江戸美味草紙』杉浦日向子著(新潮文庫)を貸してくれる。

 杉浦日向子か…。その昔、私は杉浦日向子のマンガを愛読してゐた。どうやら晩年はマンガをやめ、江戸についての文章書きになつてゐたやうだけれど、そんな事実を知らなかつたのは、途中で杉浦日向子のマンガを読むのを止めてしまつたからである。その理由は、もちろん少々彼女のマンガに飽きてきてゐた、といふ事なのだらうが、その直接の切つ掛けは、実に実に下らないことだつたのだ。

 若い時の私は、「すべからく」の用法を間違つてゐる文章にあたると、その文章の作者に対する気持ちが急激に冷めてしまふ、といふ悪癖を持つてゐたのである。今にして思へば、なんとも狭量な話だが、実際、若い時の私は狭量だつたのだ。で、ある時、確か雑誌「ガロ」誌上であつたと思ふのだけれど、杉浦日向子の文章が載つてゐて、その文章の題が「江戸の人たちはすべからく太平の逸民である」(確かこんな感じ)となつてをり、「すべからく」の用法が間違つてゐるやないかー! 杉浦日向子は稲垣史生に師事した歴史考証家のくせに、なんといふ体たらくやー! と、すつかり白けてしまひ、以後プッツリ読むのを止めてしまつたのである。うーん、心の狭い人間やなー、我ながら。

 ま、かういつた次第であつた訳だが、私も今では些か歳を重ね、少しは心も大きくなり、昨年杉浦日向子が死去した折りには、そんな下らない理由で読むのを止めてゐたのを反省したりしてゐた。だから、本日かうやつてワリイシさんに杉浦日向子の本を貸して貰つたのは、なにかの縁かもしれない。これを機会に杉浦日向子の本を読むのを再開してみようか、と、私は本のページを捲つたのである。最初のページには、冒頭に掲げられた川柳に続いて、こんな文章が載つてゐた。

『元旦、二日、三日、の「三箇日」、江戸市民はそろって「雑煮椀」を食べるならわしだった。』

 ……元旦と元日を間違つてゐるやないかー!!! 杉浦日向子は稲垣史生に師事した歴史考証家のくせに、なんといふ体たらくやー!!! と、私は本を放り投げてしまひました。

(ちなみに、私も一年ほど前まで元旦と元日をゴッチャにしてゐました。この店主日記でも間違ひが散見します。ははは、パソコン放り投げようかな)

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Comments

投稿者 ワリイシ : 2006年01月31日 12:20

やはりあきませんでしたか。
相変わらず日本語の乱れに厳しいですねえ。

個人的に「風流江戸雀」で幾度読んでもピンと来なかった
ふぐの件などのモヤモヤが晴れたりして、
読み物としても面白かったんですけどね。

投稿者 店主 : 2006年01月31日 19:20

いや、まァ、半分はネタなんで。
今、ちやんと読んでゐますよ。面白く読んでゐます。この軽さ、緩さ、が、確かに今の私とは合ひませんが、それはそれ、読み物として面白いですよね。
私もその昔、「風流江戸雀」は愛読してをりました。

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