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Text by 小川顕太郎
2005年11月09日(Wed)

『TAKESHIS'』について
映画

 ババさん来店。『TAKESHIS'』を観ましたよ、なかなか面白かつたです、と私が言へば、「“なかなか”ですか……ボクは爆発的に面白かつたです!!!!!!」と爆発した。

「もう、こんなに面白い映画はさうさうない! なんか無茶苦茶なんだけど、もの凄く面白い。ゴダール超えてゐるやん、と思ひましたけど」

 あ、私もゴダールとの比較は考へました。数日前に観たばつかりだつたんで。同時期の作品ですからね。で、『TAKESHIS'』を観てゐる時に、確かに凄いんだけど、なんか画面が貧しくて。まるでテレビみたいでせう。それが気になつてゐたんですよ。ゴダールの『アワーミュージック』は、ラフな画面だけれども、美しいぢやないですか、とてつもなく。それに較べて…。

「いや、だからそこが『TAKESHIS'』の凄いところなんです! 『TAKESHIS'』は、感じとしては後期のブニュエルやフェリーニだと思ふんだけど、彼らの場合、どうしてもヨーロッパ美学の蓄積が滲み出てしまふ。それが、かへつて枷になつてゐると思ふんですよ。その枷が『TAKESHIS'』には全くない! とてつもなく自由な感じがするんです。自由な映画を観るのに優る幸福はないですよ!」

 さうですね。実は私も家に帰つてからその事をズウッと考へてゐたんです。あれで『TAKESHIS'』に下手に美学を持ち込むと、清順みたいになつてしまふしなー。てな事を色々考へて、やはりあの貧しさは凄い! ゴダール(の豊かさ)を超えた! と確信して、さう日記にも書いたんですけど。

「全くその通りです。なんか、もう、北野武凄いわー」

 ババさんはもの凄い量の映画を観てゐるから、“映画”から解放される感覚がより強いんぢやないですか。ハスミによると、“映画”は抑圧するものですから。と、いふ事は、『TAKESHIS'』が面白くない人たちといふのは、映画・映像による抑圧が感じられない人たち、といふ事になりますねー。つまり抑圧を内面化してしまつたファシズムな人たち、といつた所でせうか。

「さうかもしれません。『TAKESHIS'』は興行成績惨敗らしいですからね。小泉ファシズム政権下の日本に相応しい結果です」

 なんにせよ、ゴダールに北野武、テリー・ギリアムにティム・バートンの新作が全てやつてゐる今の京都は凄いですね。今年のハイライトかも。

「『TAKESHIS'』最高! 打倒ファシズム!」

 是非、ひとりでも多くの人に観に行つてほしいものです。

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