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Text by 小川顕太郎
2005年08月19日(Fri)

筋トレは退屈?
フィットネス

 イナバさん来店。我々全員が筋トレに燃えてゐる、といふ話を聴いて目を丸くする。

「でも、筋トレッて、退屈ぢやないですか?」ときいてくる。

 うむ、かういつた事はよく言はれる。しかし、ハッキリ言つて、全く退屈ぢやないです!

「えー、でも私も昔ジムに通つてやつてゐたんだけれど、あまりの退屈さに辞めてしまひました」

 むむー、かういつた事もよく言はれる。しかし、それは筋トレのやり方を間違つてゐたからだ、とここで私が断言しませう。そもそも筋トレといふのは“手段”に過ぎないのだから、ただ漫然とやつてゐてもダメなんです。何のために筋トレをやるのか、といふ目的をまづハッキリさせないと。…なんて言ふと、「美しい身体がほしいから」とか「健康になりたいから」といふ答へが返つてきさうですが、それではダメです。それは目的として低すぎる。さらに高い目的、何のために美しい身体がほしいのか・何のために健康になりたいのか、がハッキリしてゐないと、ダメです。“目的”といふのは高低があります。低い目的の上にはさらに高い目的、その上にはさらに高い目的、その上には…と、ドンドンと目的は高くなつていく。さういつた地点から見れば、低い目的など“目的”と呼ぶに価しない、と言つても過言ではない。では、どこまで行けば、まァ、目的と呼んで差し支へないかと言ふと、やはり自分の生き方の根幹に関はるところまで行けば、でせう。たとへば『海辺のカフカ』の田辺カフカくんは、世界一タフな15歳になるため、に筋トレをします。これは『海辺のカフカ』を読めば分かる通り、15歳で家出をしたカフカくんにとつて“生き方の根幹に関はる”ことです。だから彼は黙々と筋トレをやる。それはほとんど生きる事と同義です。彼は生きる、彼は人生と闘ふ、故に、筋トレが退屈な訳がない。人は、闘ひの最中に退屈などしません。

 だから、高い目的を持つことです。さしたる目的もなく、手段に過ぎないものをやつたつて、退屈するのは当たり前です。それなら、やらない方がマシでせう。

「なるほど…では、ケンタロウさんはどのやうな目的があるんですか?」

 それは……来るべき“いざ鎌倉”に闘ひ抜くためですよ! もう、今の日本は無茶苦茶だ。グローバリズムと自虐外交によつて日本の文化は侵蝕されまくり、小泉内閣といふ史上最悪の傀儡政権によつて日本社会もボロボロ、我々は貶められ、搾取され、蹂躙されてゐます。いつまでもこんな状態を続ける訳にはいかない! 必ず、また尊皇攘夷運動(天皇陛下の下に日本人が団結して、アメリカによる属国支配を排除する)は起きます! その時のために、私は「八紘一宇」「七生報国」と呟きながら筋トレを…。

「……」

 あれ? なんでみんな下を向いてゐるの?

Comments

投稿者 まつごん : 2005年10月31日 20:16

つかれそう

投稿者 まつごん : 2005年10月31日 20:16

つかれそう

投稿者 まつごん : 2005年10月31日 20:16

つかれそう

投稿者 oishin : 2005年10月31日 20:45

それがいいんです!
それがいいんです!
それがいいんです!

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