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Text by 小川顕太郎
2005年06月17日(Fri)

ミリオンダラー・ベイビー
映画

公式サイト: http://www.md-baby.jp/

 MOVIXにて、『ミリオンダラー・ベイビー』を観る。それにしても、毎年のやうにイーストウッドの新作が観られるなんて、私は幸せだ、としみじみ思はずにはをれない。もし私が生まれるのがあと50年遅かつたり、北朝鮮あたりに生まれてゐたら、かうはいかなかつただらう、と思はれる。しかも、イーストウッドが、年々高くなる私の期待に、平然と応へ続けてゐるのが素晴らしすぎ、クリス・ロック同様私も「イーストウッドこそが真のスターだ!(あとの人々はただの有名人、つまり単なるセレブ)」と大声で叫びたくなるのであつた。

 今回の作品は、監督主演といふのは(さすがに疲れるので)もう止めやうかと思ふ、といふ『ブラッド・ワーク』の時の言葉を軽く裏切り、監督・主演(ま、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンと3人で分けあつてゐますが)、さらに音楽までやつて、イーストウッド節炸裂。またしても素晴らしい作品を作り上げてしまつてゐる。個人的な感想を言へば、衝撃度では前作『ミスティック・リバー』の方が上、満足度では同じくらゐ、といつた所か。が、ある意味で言へば、イーストウッド作品中で最も衝撃的なもの、とも思へる訳で、その理由は、イーストウッドが中心的なファイターの役ではない! からである。この映画は、良いファイター(ボクサー、戦闘者)とは何か、を巡る作品とも言へる訳だが、作品中の中心的なファイターはヒラリー・スワンクである。イーストウッドはあくまでそのファイターのサポート役、トレーナーであり導き役でもある訳だが、最終的にはファイターに導かれる役柄となつてゐる。故に映画の後半部のイーストウッドらしからぬイーストウッドは、ある意味かなり衝撃的で、私は今、これを書きながらジワジワとそれを味はつてゐる所だ。

 イーストウッドは常にファイター、それも中心的なファイターの役であつた(無論イーストウッドの全作品を観てゐる訳ではないので、私の観た映画の範囲内での話ですがー)。権威や権力に頼ることなく、自らの力で人生を切り拓いていく、といふ意味でのファイター。ところで、グッドファイターとはどういつた人の事を指すのであらうか。それは、モーガン・フリーマンが映画の中で明言してゐる。それは、頑固で人の言ふ事をきかず、“間違つた信念”を持つてゐて、でもその信念に殉ずる人間のこと、である。さういつたグッドファイターとは、この映画の中では完全にヒラリー・スワンクである。イーストウッドは、今までの映画と違ひ、さうではない。それは、常に本を、しかもイエーツなんかを読んでゐる事からも分かる。彼は半ばインテリであるが故に、“間違つた信念”に対して躊躇してしまふのだ。だから、後半のファイター(スワンク)とトレイナー(イーストウッド)の役割が逆転する場面は感動的である。彼らはここで、対等な関係になつたのだ。ともに闘ふ者として、戦士としての絆で結ばれたのである。以降は、スワンクがイーストウッドをファイターとして鍛へていく事になるだらう。…

 あんまり具体的に書けないのが歯痒いですが、やはりこれは自分の眼で観るべきでせう。てな事で、みなさん是非観に行つて下さい!

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