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 Diary 2005年6月22日(Wed.)

オパールバトル大会の意義

 最近一寸停滞気味のオパールバトル大会だが、そんな事では困るなァ、といふ事を書いてみやうと思ふ。まづ、私は何も伊達や酔狂でオパールバトル大会を開催してゐるのではない。洒落や冗談でやつてゐるのでもない。私は、みなで人生のグッドファイター(良き戦士)にならうぢやないか、と思ひ、その事を念願して、この大会を行つてゐるのである。人は如何にすればグッドファイターになれるのか? それは、何よりまづ多くの闘ひをこなす事である。しかし…人生における闘ひと、オパールでジェンガをやる事やボーリングをやる事に何の関係があるの? それッて、下手したら人生における闘ひからの逃避ぢやない? …と、いふ疑問を持つ人もあらう。しかし、それは違ふのだ。人生とは闘ひの連続だ。生きていくといふ事は、勝ち抜いていく、といふ事と同義である。とも、言へる。が、一体何人の人が、その事を実感してゐるだらうか。結局、大半の人は、なんとなく毎日を過ごしてゐるだけではないのか。人生における闘ひ、それは見えにくいのである。故に、どう闘つていいのやら、闘つてゐるのやらゐないのやら、分からないのだ。まづ、人生における闘ひとは何か、を見定めなくてはならない。それにはどうするか。この事は、後で述べやう。

 で、次に、如何にすれば我々は強くなれるのか、人生における闘ひのグッドファイターになれるのか。金を得るために一所懸命働く? 偉くなるために猛勉強する? 良き伴侶を得るためにお洒落に身をやつす? どれもこれも、全て末節の技術論に過ぎない。いや、むろん技術は大切なのだが、それ以上に、魂を鍛へること、これが大切なのだ。グッドファイターとしての鍛へられた魂。これは、多くの闘ひを経ることによつてしか得られない。たとへば様々なもの(四書五経や将棋の定石、九九、短歌、など)を暗記すれば、結果として脳が活性化されるのと同じで、覚へるもの/闘ふもの自体はそれほど問題ではない。ジェンガだらうが、ボーリングだらうが、構はない。純粋な闘ひを真剣に闘ふこと。これが大切なのだ。真剣に行はれる純粋な、無方向・無限定な闘ひ。オパールバトル大会は、そのための最適な環境を目指してゐます。ので、みなさんもさらなる真剣な参加をお願ひします。

 最後に、さきほど後回しにした問題、「人生における闘ひとは何か」をどうやつて見定めるかだが、それは、是非『ミリオンダラー・ベイビー』を観に行つて下さい! 答へはそこにある! かも。

小川顕太郎 Original: 2005-Jun-26;