熊野日記2
紀伊勝浦の駅まで出て、そこからバスに乗つて那智へと向かう。実はその前に近くの喫茶店に入り、そこの人から「那智の後はぜひ本宮に行け」と薦められたのだけれど、そして我々ももの凄く本宮大社には行きたかつたのだけれど、さうすると那智で慌ただしくバタバタとしなければならなくなる。それはイヤだつたので、今回は那智だけに止める事にした。本宮にはまた来ればよい。メッチャ遠いけれど。
大門坂で降り、そこから熊野古道をしばし歩く。実は熊野古道は昨年世界遺産に認定されたらしく、「世界遺産」と書いた碑がドーンと入り口の所に建つてゐる。むむー、世界遺産に認定される前に来たかつた。もの凄く聖地が汚されてゐるやうな気がする。ま、熊野信仰の心がない私が言つても何の説得力もないが。
熊野古道は日本最古の道のひとつである。昔は、もちろん京都から出て熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)に至るまで延々とあつた訳だが、今は一部は車道になつたり、通れなくなつたりして、昔の面影を留めてゐるのはごく一部、らしい。それでも東海道マニアがゐるごとく、熊野古道マニアともいふべき人々はゐて、何日もかけて熊野古道を歩くのを楽しみにしてゐるやうだ。むろん普通の人はそんな事はできないので、大門坂から那智大社に至るわずかな部分を歩いて気分に浸つたりする。時間にして約20分。我々もこのコースをとつたのだ。
わずかな距離とはいへとても気持ちよい。樹齢何百年といふ太い木が亭々とする中、石で作られた階段がクネクネと続いてゐる。我々以外誰もゐないのもよい。風が吹くたびに、木々がもの凄い音を出す。いや、木々といふより、森そのものが鳴動してゐる、といつた感じだ。階段を上るごとに、気持ちがドンドンと洗はれていく。清浄な空気、厳粛な雰囲気、自然の事物に対する畏怖、などによつて精神が清められること。これが、日本の神道の核だらう。むろん熊野には神道だけでなく、仏教や陰陽道なども混じり、修験道の本場として独特の山岳宗教の体をなしてゐるが、核にあるのはこの「清め」の感覚だと思ふ。それをもたらすのが、熊野の原生林であり、那智の滝なのだ。我々は古道が終はつた所にある茶屋で一服し、遠く那智の滝を眺めながらお茶を飲んだ。
那智大社に至る。素晴らしい。清浄な気が満ちてゐる。参拝を済まし、牛王神札を買ふ。牛王神札とは(普通は牛王神符といふと思ふが、なぜか「神札」と書いてあつた)、八咫烏をデザインしたカラス文字が印刷された紙のことである。お守りとかにもするやうだが、よく知られてゐるのは、起請紙としてである。この牛王神札の裏に誓ひの言葉を書いて相手に渡す。すると絶対にその誓ひは破れない。もし破れば熊野の神から天罰が下る、といふもので、特に重要な契約や、身の潔白を証する時などに使つた。歴史モノを読んでゐれば、よく出てくる。これは絶対に買おうと思つてゐたものだ。あとは「熊野那智参詣曼陀羅」を見ること。それは宝物殿にあつた。感慨深い。思はず、コピーを買ひ求めた。この宝物殿は、他にも見どころ満載で、且つ受付の人が非常に丁寧で色々と説明してくれるので、もし那智大社に行かれるのなら、必ず寄ることをオススメしたい。ていふか、「熊野那智参詣曼陀羅」を見なければ、チャント参詣したことにならないと思ふのだが。大楠の胎内くぐりをして、青岸渡寺を通り、那智の大滝へ。
圧巻である。これは筆致に尽くしがたい。これ以上なにを書いても嘘くさくなるので、まだ見てゐない人は是非観に行つて下さい、としか言へない。確実に、死ぬまでに見ておかないと損をするリスト、に入るものだ。いやー、まだ死んでなくてホントに良かつた。夏はさらに水量が増えるさうなので、今度は夏に来やう。それまでは死ねんな。
ホテルに帰り、温泉に入る。脱衣所に落合信子夫人の書が飾つてあつたり(女湯では落合の書だつたらしい)、たつた一人で温泉を独占できたりと、なかなか良かつたのだが、残念ながら塩素臭がきつかつた。多分、塩素消毒をしてゐるのだらう。ありがちな事だが、これでは、あまり入つてゐると身体に悪い。早々に出る。
実はホテルの前にプライベートビーチらしきものがあつたので、夕方、草をかきわけて行つてみたのだ。すると、そこにはプライベートビーチの残骸があつた。ゴミが集積してえらい事になつてゐる。草に覆はれてゐるが、遊歩道らしきもの、小屋らしきものもあり、トンネルもある。背筋が寒くなるやうな、荒涼とした風景だ。多分、これはグリーンピア南紀のものぢやないか? 調べてみると、グリーンピア南紀は平成15年3月に閉鎖してゐる。ひどいもんだ。そこに年金改革の未来をみたやうな気がして、私は身震ひした。
小川顕太郎 Original: 2005-Jan-12;