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 Diary 2004・4月6日(TUE.)

クリエイティブパワー

 母親と妹が来店。櫻を見てきたさうだ。そこで二人から最近の祖父の様子を聞く。祖父はすつかり弱つてゐるやうで、とにかく自分では何もしようとせず、何でも他人にやつて貰おうとするのだといふ。立ち上がるのも、服を着替へるのも、歩くのも。しかしそんな事では益々身体は弱つていくばかりだし、頭も呆けていくので、周りはなるべく自分でやらせやうとして、大変なのだといふ。

 前にも書いたと思ふが、祖父はいはゆる立志伝中の人で、他人にはなるべく頼らず、何でもかんでも自分でやる、といふ人間であつた。会社も自分で作つた。歳をとつて身体が弱り、足下が危なくなつても、周りの忠告を無視して電車で会社に通ひ、転けて頭を打ち、2 度ほど入院した。それでも杖を持つのを恥としてゐたのだが、いつしか、杖をついて歩くやうになつていつた。それが契機となつて、といふのはあまりにも通俗的な考へだが、とにかくそこらへんから、祖父の衰弱は激しくなつていつたやうに思ふ。他人にも自分にも厳しかつたのが、他人に、そして特に自分に甘くなつていき、今では何でも他人に頼らうとするまでになつてしまつたのだ。なんにでも栄枯盛衰はある。人間の一生に於いても、それはある。私は無限成長哲学を奉じてゐるので、色々と考へさせられるものがある。祖父はクリエイティブパワーを失つてしまつたのだらう。が、その事で祖父を責めることができるだらうか。力は何故わき起こり、ひいていくのだらうか。力(パワー)を持続する、などといふ事が、究極的には人間に可能なのだらうか。また、もし力を失つた時、自ら身を処することは論理的に不可能なので、やはりそれは周りの人間の問題となる。正確には、周りの人間との問題になる。どうすればよいのか。これは文化の質の問題だらう。……

 本日の私の力(パワー)が衰へてきたやうです。

小川顕太郎 Original: 2004-Apr-8;