『英雄』について
本日は映画の日だとて、みんな『英雄』を観に行つたやうだ。タカハシくんは 2 回目を観に行き、それについてヤマダくんも行つたやうだし、トモコもハシモトくんもマツイさんも観に行つたやうで、さらにワダくんもイナバさんも観に行つたやうである。話に聞けば、どの回も満席。オパールサイトにて薦めた効果があつたのだらうか、って、それは関係ないか。
むろん人によつて感想はまちまちで、私やババさんやヤマネくん(10 年に 1 本出るか出ないかの傑作、と評したらしい)のやうに絶賛する人間もゐれば、面白かつたけどそれほどでも、と言ふ人たちもゐる。また、よく分からん、といふ感想もチラホラあるやうだ。なんでも良い。観てくれれば、それで良いのだ。あの映画には、この世の真実が、大きくザックリ語られてゐる。それを皆が体験してくれれば、よいと思ふ。たとへ分からなかつたとしても。
さて、『英雄』には「書」が重要なキーワードとして登場する。砂に長い棒で字を書いて修練するところ、剣の極意と書の極意は通じるといふ話、など、もうアドレナリン噴出もののシーンが続出するのだけれど、私は、トニー・レオン(残剣)の書いた「剣」の字がスルスルと秦王の前に広げられる、つまりはスクリーンいつぱいに広げられるシーンで、思はず「おお!」と小声をあげてしまつた。この「剣」の字、ほとんど秦篆(小篆)なんだよね。映画の中でも語られてゐたが、秦王は後にシナを統一して始皇帝となつた時に、それまであつた雑多な何種類もある字を、1 種類に統一する。その統一された字が秦篆(小篆)な訳だけれど、このシーンから推測されることは、秦王はトニー・レオンが書いた字を元にして字の統一を図つたのではないか、といふ事だ。トニー・レオンは、秦王がこの世で唯一こころが通じた相手。もちろん、映画の最後に至つてリー・リン・チェイともこころが通じる訳だけれど、彼らは秦王とこころが通じたゆゑに、死なねばならなかつた。秦王は、こころの通じ合つた真の友を失はねばならなかつた。だからこそ、弔ひの意も込めて、秦王はトニー・レオンが書き、リー・リン・チェイが持つてきた字をもとにして、秦篆を定めたのではないのか。あるいは、雑多な文化を滅ぼしシナを統一するといふことの意義を、真に分かつてゐたトニー・レオンの書いた字こそ、統一後の字に相応しいと、秦王は考へたのではないのか。秦篆には、万感の想ひが込められてゐるのだ!
…とまあ、語り始めたら多分きりがないので、ここらで止めておきます。未見の方は、是非、是非! で、帰りにはオパールに寄つて下さいな。
小川顕太郎 Original:2003-Sep-2;