戦場のピアニスト
京都スカラ座で『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー監督)を観る。世間的に凄く話題になつてゐる作品らしく、スカラ座もそこそこに人が入つてゐた。私の周りでも、映画****のババさん、奇魂の高坂さん、ピアニストのヤマネゴロウ氏などが絶賛してをり、これは行かねば、と、私もホイホイと映画館まで出掛けた訳である。
さて、映画が始まる。まづ驚いたのは、その異様に早い展開だ。余計(?)な説明や描写を省けるだけ省き、畳みかけるやうに話が進行する。前作(なのかな?)の『ナインス・ゲイト』のユルユルぶりとは、あまりに対照的だ。とにかく、あれよあれよといふ間に、ドンドン主人公たちユダヤ人が悲惨な状況に陥つてゆく。どうも最近の私はこころが弱いらしく、この間のマイケルの番組でもさうだつたが、あまりに可哀想な展開はみてゐられない。ああ、もう辞めて辞めて、と眉を顰め、胸を押さへながらスクリーンを見つめてゐた。それでも、主人公のシュピルマンが家族とも離れ、一人で逃げ回るやうになると、私も冷静になり、別の興味を起こしてスクリーンに見入ることになつた。それは「生き延びる」といふことだ。
この映画は、私にとつて「生き延びる」ことを描いた作品だ。それは「サバイブする」といふやうな積極的なものではなく、正に、ただひたすら「生き延びる」こと。主人公は、ナチスに対してほとんど積極的な抵抗を示さず、ただ逃げ回つてゐる。家族や友人や同胞や命を助けてくれた人たちが捕まり、殺されていくのも傍観するのみで、自らが積極的に助けやうと出ていくことはない。ただひたすら、人々の善意に頼つて生き延びるのみだ。かういふ主人公の態度に対して批判的な人もゐるだらう。その気持ちはよく分かる。しかし、私は主人公・シュピルマンを批判する気持ちにはなれない。たとへば、命より大事なものがある、といふ言ひ方がある。この言葉もよく分かる。その通りだとも思ふ。命より大事なもののために、自らの命を投げ出した人たちは立派だと思ふ。しかし、そのやうな事ができず、見苦しく生き延びた人たちに対しても、私は共感を持つてしまうのだ。
シュピルマンは事態を傍観する。正に字面の通り傍観する。シュピルマンは常に隠れ家の窓から外の様子を窺つてゐるのだ。外では、ユダヤの同胞が無惨に殺されたり、勇敢にも蜂起したり、さらに鎮圧されて殺されたりしてゐるのだが、その様子をひたすら傍観し続ける。私は、大部分の人たちにとつて、人生とはこのやうなものではないか? と考へた。なにかとてつもなく悲惨なこと、勇敢なこと、輝かしいことが外では行はれてゐるが、自分はただそれを傍観するだけで参加することが出来ず、ひたすら逃げ回り、見苦しく生き延びていく。そして、たまに起こつた僥倖に、どつぷりと浸かり、人生の幸せを感じるのだ。シュピルマンにとつてそれは、自分を殺すはずのナチスの将校に助けて貰ひ、パンとジャムを隠れ部屋に差し入れて貰つたことだ。私がこの映画の中で最も印象に残つた映像は、シュピルマンがピアノを弾いてゐるシーンではなく、窓の外を窺ひ続けるシュピルマンの姿と、ナチス将校からの差し入れのジャムを舐めるシュピルマンの恍惚とした表情だ。(大方の)我々の人生とはこのやうなものではないだらうか。
主人公を演じたのはエイドリアン・ブロディ。ケン・ローチ監督『ブレッド & ローズ』で、労働運動を煽る左翼青年を演じてゐた人だ。私は、『ブレッド & ローズ』を観た時から、エイドリアン・ブロディが好きだつた。彼のヘナチョコぶりは最高だ。シュピルマン役は、適役だつたと思ふ。
実を言ふと、私は映画を観ながら、ずつと三島由紀夫の『豊饒の海』を思ひ浮かべてゐた。傍観し、見苦しく生き延びる人としての本多繁邦と、シュピルマンを重ねて観てゐたのだ。しかし、第 2 次世界大戦で死ぬことを望みながら死ねなかつた三島と、ユダヤ人としてホロコーストを生き抜いたポランスキーの違いが、どちらも戦争中は闘はずに逃げ回つてゐたといふ共通点はあるものの、如実に出てゐたやうに思ふ。ポランスキーは、生き抜いたからこそこのやうな作品を創れるのだ、と強く主張したかつたのだらう。だからこそ、2 時間半といふ長さにも関はらず、全くダレることのない高密度の作品を撮れたのだと思ふ。しかし、多分これは大多数の人と印象を異にしてゐると思ふのだが、私はラストのオーケストラのシーンに高揚感は感じなかつた。白々と、寒々しい感じがした。この部分だけ、取つて付けたやうだ。だからと言つて、それがこの映画の価値を落とすとは思はないが。
映画館を出て、急いで店に向かう。店につくと、そこそこお客さんがゐて、カウンターではマツヤマさんとカズ 16 が喋つてゐる。演歌とヨーロッパジャズについて。直にベッチがやつて来て、いつものやうにケーキとお酒を注文し、ババさんもやつて来てオパールのサイトの更新作業をする。オイシンまでやつて来る。人生とは、このやうなものなのだなあ、と私はなんとなく思つたのでした。
小川顕太郎 Original:2003-Mar-08;