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 Diary 2003・1月20日(MON.)

宮本武蔵

 ああ、相変はらず肩が痛い。…では、昨日の続きでも書きますか。

 私に強烈に『五輪書』を薦めた可能涼介だが、では彼は『五輪書』のどのやうな所に感銘を受けてゐるのだらうか。それは、花田清輝の「グニャグニャの抵抗」「品行方正の破れかぶれ」といふ思想を体現してゐるところださうだ。確かに、武蔵は『五輪書』に於いて、型に捕らはれる事を極端に諫めてゐる。闘ひに於いて必勝の型といふのはないのだから、その場その場で常に最善の道を選び、躊躇なくその道を行くべきだと。何事に於いても、スタイル(型)がある方が一本筋が通つて格好良くみへる。その場その場でスタイルを変へ、とにかく勝つことに執着して手段を選ばないのは、いつそ浅ましくみへるだらう。例へ負けたとしても、自らの美学(スタイル・型)に殉じた方が、格好良いのではないか? しかし、武蔵はこのやうな敗北主義を一笑に付す。武士にとつて究極の目的は勝つこと。だから何があつても負けてはならない。スタイルを捨て、見栄を捨て、とにかく勝つこと。このやうな武蔵の思想は、いはゆる武士道とは相反するものだらう。が、そこが武蔵の思想の魅力であり、「グニャグニャの抵抗」なのだ。

 ところで、ここでひとつ重要な問題がある。それは、一体何をもつて「勝ち」とするか、といふ問題だ。もし、武蔵の最終目的が「高禄での仕官」といふ事であつたなら(その可能性は大だ)、武蔵は人生での闘いに負けたことになるからだ。あれほど勝つことに執着し、実際剣の闘ひに於いては勝ち続けた武蔵が、人生といふ大きな勝負では負けたことになる。しかし、案外さういふところが、武蔵の人気の秘密なのかもしれない。

 個人的には、武蔵は決して風呂に入らなかつた、といふ逸話が好きだ。裸になるのは敵に隙を見せる事だから、風呂には入らなかつた、といふのだ。故に武蔵は強烈な異臭を放つてをり、詰め寄られた相手は閉口して逃げ出した、といふのだ。この話は、自分の背後に立つた者を反射的に倒してしまうゴルゴ 13 を思ひ起こさせる。一芸に秀でた者は変人である、といふ典型例のやうに思ふ。

 ああ、私も肩をグニャグニャにしたい!

小川顕太郎 Original: 2003;