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 Diary 2003・4月26日(SAT)

カサブランカ 後編

 昨日の続き。

 私は、大義に殉ずるのが悪いとは思ひません。ましてや、大義より恋愛を優先するのが良いなどとは、全く思ひません。誤つた個人主義である恋愛至上主義は、私の常々唾棄するところです。大義にしろ恋愛にしろ、それが他人に多大な犠牲を強ひるのは同じです。それでも人は、そのやうな選択(大義や恋愛に殉ずる)をすることがある。が、もしそのやうな選択をしたのなら、最低限守らなければならないことがあります。それは、殉ずるのなら最後までそれを貫くこと、そして他人の理解を得るべく(他人に犠牲を強ひる訳ですから)、最大限の努力をすることです。バーグマンは、どちらも出来ていません。これでは碌でもない女ですが、それがそこまで酷く映画で描かれてゐないのは、この作品がプロパガンダ映画だからであり、大義(レジスタンス活動)が無条件の善として前提されてゐるからです。しかし、実際の世界では、無条件・絶対的な善などありません。人はそれを選択する時、自らを厳しく律しなければなりません。それが、独善を防ぐ道であり、倫理なのです。

 ボギーは、ラストでバーグマンを捨てることによつて、この倫理を示します。それは、バーグマンがボギーを捨てた時の独善性とは正反対のものです。だからこそ、このラストシーンは素晴らしい。プロパガンダ映画の持つ独善性を超へて、倫理を示してゐるからです。ボギーは、見事にこの大任を果たしてゐます。これが、私がこの作品を「ボギーの映画だ」と言ふ理由です。我々は、この映画のボギーから、どれほど多くを学ぶことができることか!

 米国はプロパガンダに長けた国です。平時においてもさうですが、戦争中ともなれば「アメリカの正義」を徹底的にプロパガンダします。ハリウッドは、(テレビと並んで)それの最も有効な手先機関ですが、ハリウッドが凄いのは、時にこのやうな、それ自身の目的を超へた傑作を作つてしまへるからです。今回のイラク戦争においては、どうなんでせうか。などと、いささか強引な感想を付して、筆を置きます。

小川顕太郎 Original:2003-Apr-28;