Diary 2002・9月27日(FRI.)
歴史とソウル
イチモトくん来店。オパールのカウンターに置いてある『英霊の言乃葉』を読みながら、「実はボクは関西ソウル界きってのナショナリストでロマン主義者なんですよ」と語り出す。そういえばイチモトくんは歴史での教員免許を持っていたはず。その後、新しい歴史教科書、靖国神社、南京大虐殺、拉致問題、などについて熱いトークを交わす。おお! イチモトくんがこんなに話の通じる奴だったとは。イチモトくんは現在の歴史教育についても一言する。
「だいたいねえ、歴史は知識を覚えることじゃないんですよ。そこを分かっていない!」まったくその通り。歴史とは現代を、そしてそこに生きる現在の自分(達)を写す鏡である。それ(歴史という鏡)によって我々は自らの生き方を律したり、生きる力をそこから汲み取ったりする。極言すれば、歴史とはソウルなのだ。ソウルこそ我々の感情の源であり、倫理の基盤である。歴史を単なる知識の羅列・暗記と考えたり、ソウルを単なる音楽・娯楽と捉えているようではダメなのだ。と、私は強く主張したい。だからこそ、日本のソウルマンにとって靖国参拝は必須ではないか、と、まあ、これはなかなか賛同して貰えないんですがー。
可能涼介から電話。これは可能が高澤秀次に聞いた話らしいのだが、その昔、週刊ポストで中上健次と小室直樹が対談した事があるそうだ。その時、小室直樹はてっきり対談の相手を、ロッキード裁判検事のナカガミ検事の事だと思ってやってきており、いざ会ってみて違う人だからビックリして、かなりちぐはぐな対談になったそうだ。ちなみに、小室直樹は中上健次の本は一冊も読んでいなかったらしい。
ま、軽い小話ということで。
小川顕太郎 Original:2002-Sep-29;