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 Diary 2002・11月1日(FRI.)

可能涼介、
大西巨人宅を訪ねる1

 前日のパーティーの疲れから、ぐっすり眠り込んでいたところを、可能涼介からの電話で起こされる。「今から『読書人』のアカシさんと、大西さんの家に行くんだよ。また報告するから、じゃ」との事。とうとう大西巨人の家にまで行くのか。失礼がなければよいが、と心配しながら、また眠りにつく。

 夜に店の方に報告の電話がかかってくるが、その時は仕事中ということもあり、また明日にでも、という事になった。

 さて、詳しい報告は明日にでもなされるだろうから、可能と大西巨人の関わりについて述べておこう。といっても、もちろん今回の訪問が、人間としては初対面になるので、読者と著者としての関わり、という事だ。

 可能が初めて大西巨人を読んだのは、彼が小学生の時。なぜ小学生のガキが大西巨人なんか読んだのかと言うと、可能はすでに小学生の頃からちょいと高度な本を大量に読む早熟な子供であったのがまずあるとして、小学生の可能は短編小説が大好きであった。お決まりの星新一にはじまり、川端の『掌の小説』まで、読みあさっていたのだが、そんな中でひときわ強く印象に残ったのが、当時カッパブックスから出ていた、大西巨人編集の掌編アンソロジー(全 2 巻)。これには一癖も二癖もある掌編ばかり集められており、可能はその本から多大な影響を受けた(本人談)。そして、そのアンソロジーの編者である大西巨人の名前を牢記し、以後、目につく大西巨人の本はすべて読んだ、という訳だ。

 ここで大事なのは、可能は柄谷行人の影響で大西巨人を読み始めたのではない、という事だ。ここ 15 年くらいで大西巨人を読み始めた人は、たいてい柄谷の影響で読み始めている。柄谷行人こそ、現在に繋がる大西巨人再評価を行った人なのだが、可能はそれ以前から大西巨人を読んでいた、ということだ。私は、可能の影響で大西巨人を読み始めた。とはいえ、『神聖喜劇』を読んだのは 2 、3 年前の話だが、『三位一体の神話』などは、もっと早い時期に読んでいた。だから私にも、柄谷行人の影響は、あまりない。で、オパールの周りに居る人達で『神聖喜劇』を読んでいる人達は、私があんまり騒ぐから思わず読んでしまった人が多い。その中には柄谷行人のことなんてまるで知らない人もいる。つまりここに、柄谷行人を経ない、大西巨人伝搬の経路がある、ということだ。だから何だって? いやー、特に意味はありません。これも文化伝搬の系譜の問題ということで。

 明日の報告を待ちましょう。

小川顕太郎 Original:2002-Nov-2;