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 Diary 2002・7月17日(WED.)

臓器移植

 ビルの競売のことについて、様々な人々からアドバイスを貰ったが、最後に皆が口を揃えて言うのは「専門家に相談した方がいい」というもの。そこでさっそく、区役所の無料法律相談に行くことにする。

 無料法律相談は色々な所でやっているが、区役所が家から近かったので、そこを選んだ。毎週水曜日の午後 1 時から 4 時半まで開催していて、先着 10 名。と思いこんでいたのだが、ちょっと寝坊をして 3 時半に行けば、ちょうど終了したところだった。がーん。なんと 3 時半までだったのだ。しまった、昨晩遅くまで、というより朝がたまで『カバチタレ!』を読んでいたのが悪かった。ショックを受けている私に、区役所の人が「お急ぎですか?」と訊くので、「ええ、まあ」と答えれば、「烏丸御池にある『市民生活センター』なら、毎日やっていますよ」と教えてくれる。仕方がない、明日出直すか。

 豚の遺伝子をいじくって、人間に豚の臓器を移植しても拒否反応が起きないようにする技術が進んでいるようだ。この話は、タケダくんとショウヘイくんに聞いたのだけれど、基本的に臓器移植推進には否定的な考えを持つ私は「グロテスクな話だ」という反応をした。するとショウヘイくんに「やはり、豚の内臓を移植されるのはイヤですか?」ときかれたので、そういう訳ではない、と答えた。そう、別に、豚の内臓を移植されるのがイヤだという訳ではない。豚だろうが犬だろうが人間だろうが、臓器移植の技術がすすむ、という事自体が気持ち悪いのだ。

 なぜ臓器移植の技術がすすむのか? それは科学技術が進歩したから、という単純なものではない。科学技術は、勝手に進歩するものではない。この方向に進歩させようという強力な力が働いている方向に、進歩するのだ。もっと有り体に言えば、人類が多大なお金と時間と頭脳を突っ込んだ方向に、進歩していくものなのだ。つまり、いま人類は、臓器移植を進める方向に、多大なお金と時間と頭脳を使っている、という事だ。人類が臓器移植などにそれほど重きを置かず、もっと他のことに目が向いていれば、臓器移植の技術は進歩しない。それは科学技術の進歩や退歩、停滞などという問題ではなく、方向性の問題なのである。

 私は、もっと他にやることがあるのではないのん? と思うのだ。臓器移植までして、生命を伸ばさなくてもいいじゃないか、と。しかし、こういうと、臓器に障害を抱えて苦しんでいる人やその家族、友人達は、なにを言うか! と怒るだろう。その怒りは全く正しい。誰だって、自分や自分の親しい人達の生は全うさせたい。私だって、自分や自分の親しい人達が臓器移植をしなければならない事態に陥れば、臓器移植をするだろう。が、それでもなお、臓器移植を進めるより他にやることはあるだろう、と思う。この方向性は気持ち悪い、と思うのだ。

 私は別に、臓器移植の技術をすすめる科学者や医者の人達を非難している訳ではない。専門家というのは、需要があれば、そちらの方にどんどんと勝手に進んでいく。これは仕方がないことだし、その事を非難してもしょうがない。問題なのは、全体の方向性を決める哲学なのだ。生を全うするとは、そもそもどういうことなのか。そこが実は、一番大事だったりすると、私は思う。

 ……うーん、オパールも生を全うしたい。

小川顕太郎 Original:2002-Jul-19;