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 Diary 2001・9月10日(MON.)

天国と地獄

 ビデオで黒澤明監督の『天国と地獄』を観る。ベタな解釈だが、天国とは金持ちの事であり、地獄とは貧乏の事であろう。誘拐事件の話なのだが、その誘拐の動機が単なる金欲しさではなく、地獄からの天国への嫉妬・憎しみにある。が、憎まれる天国の住人である主人公(三船敏郎)は、実は地獄から天国へ這いあがった人間であった。この主人公が身代金を出す、と決心するまでの前半がむちゃくちゃ面白い。

 犯人はなんと誘拐する子供を間違えて、運転手の子供を誘拐してしまう。さらに主人公は会社内の権力争いの真最中であり、明日中に手持ちのお金を全てそれに注ぎ込まないと、闘いに敗れ、莫大な借金を抱えて破滅してしまうという事態にいる。当然、主人公は身代金は出さない・出せない、と言う。それに対して主人公の妻が、「可哀想だからお金を出してあげて。私たちは一からやりなおしましょう」と言うのだが、実はこの奥さんは金持ちの令嬢。貧乏とはどんなものだか、具体的には分かっていない。だから主人公・三船は叱る。「ばか! お前にあんな生活が耐えられる訳がない。だいたい、気軽に『3 千万円出してあげて』なんて言えるのは、お前が金持ちのお嬢さんだからだ!」…うーん、いい台詞ですね。

 この映画は高度経済成長が始まる前、天国と地獄がまだはっきりしていた時代の映画だ。高度経済成長以後に生まれた日本人は、基本的に真の貧乏を知らない。だからどうしても、主人公の妻のような考えになりがちだ。無論、どんな時代にもいる単に利己的な人間は別ですが。ここでは、やはり主人公の考えに分があるように私には思える。かといって、妻の考えが間違っている訳ではない。他人に同情するのは、本当は金持ちの特権だからだ。

 この映画にこういう場面がある。誘拐事件が世間に知れ、世間の同情が主人公に集まる。それを刑事(仲代達也)が嬉しそうに知らせにくる。と、ちょうどそこへ借金取りが押し寄せ(主人公は結局身代金を出したため、破滅し、借金を抱えている)、「世間では随分良いように言われているようですが、同情はタダでも出来ますからなあ。ところで、誘拐犯には金を出しておいて、我々には出せない、って事はないでしょうなあ」と言うのだ。やはり、同情は金持ちの特権だ。タダでする同情など、何の役にも立たず、自己満足と区別をするのが難しい。こういう嫌な・厳しい真実を、この映画ははっきり描いている。といっても、この映画はエンタテインメントなんですがー。

 え! 天国と地獄がもうそこまで来ているって?!

小川顕太郎 Original:2001-Sep-12;