京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

HOME > diary > 01 > 0905
 Diary 2001・9月5日(WED.)

集団的自衛権

 妹がディプシーを持って来店。これでオパールのカウンターの上には、テレタビーズが全種類揃ったことになる。しかし、妹の持ってきた人形は、他のテレタビーズと違ってプラスチック製であり、でかい。目もイッている。ううん、ま、いいかー。

 …それにしても今日も店が暇で、あまり書くことがないなあ。うーん、じゃあ、「集団的自衛権」について書くか。いや、暇にあかせて色々と考えていたんだけれど、「集団的自衛権」について、ふと考えがまとまったもんで。実は、ずうっと考えていたんだよね、「集団的自衛権」について。

 どういう風にかというと、「集団的自衛権」を日本が行使するかしないかという事が、目下の緊急の課題のひとつじゃないですか。で、私は基本的には「いいんじゃない、行使しても。そしてそれを機会に自衛隊を正式な国軍にすれば。憲法改正、改正!」と思っていたんだけれど、私が信用している副島隆彦が「『集団的自衛権』を行使してはならない。それは日本と中国をぶつけようとするアメリカの策略だ!」と著書『悪賢いアメリカ 騙し返せ日本』で書いているのを読んで、「えー! そうなのかー。ううん、でもどうなんだろ。せっかくアメリカも積極的に日本に闘う権利を認めようとしているのだから、騙されたふりをして、とにかく戦争をする権利を確保すればいいんじゃないのか?」などと考えていた訳です。

 だって外圧でも利用しないと、憲法第 9 条を改正できないでしょう。だからアメリカが「9 条を改正しろ!」と圧力をかけてきたのなら、これ幸いと改正すればいい、中国とアメリカならアメリカを選ぶしかないんだから日本は。とか考えていたのです。でも、でも、副島隆彦がああ言っているしなあ。私の考えは、どこかに穴があるのかなあ。うーん、うーん、と何週間か考え続けて、今日、ふと考えがまとまった。やっぱ、副島隆彦の方が正しいわ。

 よく考えたら、「集団的自衛権」って所詮、憲法の解釈問題でしょう。9 条はそのままで、つまり国としての交戦権を否定したままで、アメリカの戦いには協力できるって事でしょう。それはやはり、なんかおかしい。自分の戦いは出来ずに、他人の戦いには参加できる(させられる)っていうのは。

 ここで思い当たったのは、こういう問題って、本来なら安保の問題だという事。要するに、「集団的自衛権」っていうのは、安保や地位協定、ガイドライン法案、などの問題を温存したままで、つまりアメリカの都合のよいように、日本の軍隊や金を使おう、って事ではないのか。おおー! アメリカって悪賢いー! まずガイドライン法案をなんとかしろー!

 …と、いうことで、「集団的自衛権」については考えがまとまりました。にしても、もっと他の事で考えることがいくらでもあるんじゃないのかー。店が暇なんだったら、もっと真剣に商売の事を考えんかい、われー! と自分で自分に突っ込んでおいて、今日の日記は終わります。

小川顕太郎 Original:2001-Sep-7;