Diary 2001・7月6日(FRI.)
良さが分かるという事
本日は書道。一通りの指導を受けたあと、帰り際にそこで売っている『所洞谷 書画篆刻遺作集』を購入。4000 円也。これが凄くかっこよい。夜に小先生とテラダさんがオパールに寄ってくれたのだが、その時もこの作品集の話が出て、「あれは素晴らしい。あそこまでの境地に至っていたとは思いも寄らなかった。」としきりに感嘆。私も一緒になって「う〜む」とか感心していたのだけれど、小先生やテラダさんのように深く書を理解している訳ではないので、いささか気恥ずかしかった。
書の世界は深い。正直言って、私にはまだ書のよしあしがさっぱり分からない。もちろん、自分なりにこれは良い、と思えるものも多いし、そういうものに惹かれて書を始めたとも言えるのだが、書の世界ではっきりと評価の定まったもので、その良さがちっとも分からないものも多い。例えば良寛の「天上大風」。赤羽雲庭の「暮山魏峨」。これらは素人が見たら、まず下手糞と思うのではないか。私は、ずうううううっと見続けて、最近はようやく「あ、もしかしていいかも」「もしかしたら…凄いのかも」と思う瞬間が訪れるようになったが、やはり心もとない。確信がないし、似たような書を下手っぴいが書いたものと、区別できる自信がない。
ものごとの良さが分かるには時間がかかる。すぐに良さが分かるものなど、浅い下らないものだともいえるし、「良い」と思ったのは単なる勘違い、またはまぐれ当たりという可能性も高い。精進あるのみ、ですね。
朝方に、ごそごそと片付けをしている最中に、綺麗な朝焼けをみた。早起きは三文の得! という言葉が瞬間的に閃いたが、実は単なる夜更かしのし過ぎなのでした。朝方の空気は気持ちがよくて、夜更かしも朝までやればいいかんじだ。嘘。明日も(いや今日か)仕事だあー。
小川顕太郎 Original:2001-Jul-8;