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 Diary 2001・4月9日(MON.)

新入生諸君へ

 それにしても、暇である。4 月にはいってからずうっと暇である。今日などは酷かった。多分今年にはいってからの最低記録を更新した。とにかくお客さんが来ない。みんな何処に行ってしまったのか。どうせ何処かで無駄金を使っているのなら、オパールで無駄金を使ってほしいものだ。

 特に私が言いたいのは、今年大学に入って京都にやってきたばかりの新入生達に対してである。新入生諸君、君たちは、これからの何年かで、膨大な量の時間と金を浪費することになる。これだけは先輩として言える数少ない確実な事のひとつだ。しかし、その事を特に憂慮する必要はない。人生とは膨大な量の時間と金の浪費である、という事実に直面するための準備期間として、実は大学というのはあるからだ。問題は、その膨大な時間と金を何に対して浪費するか、という事である。

 一番お薦めできないのは、大学の授業に出て時間を浪費することだ。確かに、君たちの大部分にとって、大学の授業で学んだことは何の役にも立たない。だからこれは一番確実な時間の浪費の仕方だろうが、もしかして自分は有意義な時間を過ごしているのではないか? と勘違いする危険性がある。これは危険だ。このまま無自覚に成長すると、障害者の人達の作ったタオルを売り歩いたり、自分の身体を吊ったり牛の身体をぶつ切りにしてホルマリン漬けにしたり、外国に留学してしまったりするかもしれない。それに、すでに入学金・授業料という形で膨大な額のお金を浪費しているのだから、これ以上に時間まで大学に使う必要はないだろう。

 私のお薦めは、これは私がカフェ店主だという事とは一切関係がないと断っておくが、やはりカフェで時間とお金を(特にお金を)浪費することだ。何故カフェが素晴らしいのか。それは、カフェとはまさに時間とお金を浪費するためにあるからだ。というと、大学と同じではないか、と疑問を持たれるかもしれないが、大学と違ってカフェの素晴らしい点は、自主的に時間とお金を浪費できる、というところだ。君たちのうちで、自主的に大学に入学したものなど、ほとんどいないだろう。入学金・授業料を自主的に自分で払っているものも、少ないはずだ。君たちにとって、大学はあくまで受動的な浪費に過ぎないのだ。それが、カフェでは自主的に時間とお金を浪費できる。素晴らしい。これこそ人生を能動的に生きる秘訣なのだ。君たちが大学に入って京都にやってきたのは、カフェにて時間とお金を浪費するためだ、と言っても過言ではないだろう。(正しくもないが)

 私もこのように膨大な時間と貴重な才能を惜し気もなく濫費して、こんな駄文を書いているのだ。なんとかしてくれ。暇なんだよ。

小川顕太郎 Original:2001-Apr-10;