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 Diary 2000・6月23日(FRI.)

フリッパーズ・ギター

 店が終わり、小腹がすいたので、近くの「びびんぱ屋」に行く。そこで石焼きびびんぱを食べていると、カウンター内に置いて有るラジカセから、いきなりフリッパーズ・ギターのファースト「海に行くつもりじゃなかった」が鳴り出す。

 その場には私とトモコの他には、ごっついヤンキーのカップルと 3 人組がいたのだけれど、私はこの人達の耳にはどのようにこの軟弱でへたくそな音楽が聴こえるのだろうかと、一瞬考えた。まったくもって下らなく聴こえるのではないだろうか。しかし、例えそうだとしても、私はフリッパーズ・ギターを擁護する事は出来ると思った。彼等は真にスペシャルなバンド(ユニット?)だった。彼等は確実に日本の音楽シーンを変え、解散した。で、その後どうなったのか。

 小山田圭吾=コーネリアスはロックに向かい、小沢健二はソウルに向かった。そして二人はそれぞれの方向への豊饒な可能性を切り開いた後、失速した。あるいは現在失速しているように見える、というのが私の認識だ。

 さらに付け加えるなら、私は現在、彼等のいる日本の音楽シーンには何の興味も持っていない。たまに聞こえてくる音も、凄く下らなく聴こえる。私は今は、ソウルミュージックの豊饒な世界に身を浸している。そしてそうなって初めて分かったのだが、ソウルの世界から見れば、フリッパーズ・ギターなど何ほどでもなかったのだ。

 これは別にフリッパーズ・ギターを貶めているわけではない。私は今でもフリッパーズ・ギターを重要なバンドだと考えている。が、ソウルの世界からみれば、それはどうってことのない現象に過ぎない、という事だ。それはフリッパーズ・ギターに限ったことではなく、私が 10 代の頃に入れ込んでいたパンク・ニューウェーブでさえそうなのだった。私がスミスのニューアルバムを前に、現在これに勝る重大事はないと考えていた頃、ソウルの世界では勝手に凄く重大な事が起こっていたのだ。

 私は『さようならパステルズ・バッヂ』を歌いながら家路につき、家に帰ってから SAM DEES のアルバムを聴いて、そのかっこよさに震え、寝た。

小川顕太郎 Original:2000-Jun-24;