妖怪2
雑誌「歴史読本」の 9 月号で、京極夏彦と宮部みゆきが対談をしている。その対談で京極が次のような内容の事を言っていた。近代以前は迷信がまかり通っていて、呪術的なものも公に信じられていたと思われているようだが、実は違うのではないか。昔はお約束が社会的に機能していただけで、むしろ迷信や呪術的なものを信じているのは今ではないか。
私もこの意見には賛成である。大体からして「ぬらりひょん」などという訳の分からないものを、一部の野暮天を除いて、信じていたはずがないではないか。あれはそういうものが居る事にしようという、お約束事だったのだ。京極によれば、我々がイメージするような妖怪が出来たのは江戸時代。長く同じ体制が続いたおかげで爛熟しきった文化が生んだお遊びの精神、これが妖怪である、と。だから現代のように、心霊現象や超能力を真剣に信じてカルト宗教に走るような野暮天をたくさん生む社会は、妖怪を生み出す力はない、と。
とはいうものの、現代でも妖怪は着実に産まれている。実を言えば、オパールにも少し前から妖怪が住んでいるのだ。去年の終わり頃あたりからだっただろうか、我々がカウンター周りで高尚かつ難解な議論を交わしていると、どこからともなく「そうなんですか」「それはイヤですねえ」「なんじゃそれ」等という大声が聞こえるようになったのだ。またその耳障りな合いの手のことごとくが、議論の流れを全く分かっていない頓珍漢なもの。あまりの頓珍漢さに、思わず突っ込むか何かしてその声に答えてしまうと、その声に顔色を伺われてしまうのだ。我々はその妖怪に、とりあえず「オイシン」という名前をつけている。
先頃オパールのスタッフになったワダくんは、自分の事を「妖怪人間ベロに似ているってよく言われるんですよ」と言う。むううん、確かに…。オパールは妖怪だらけですな。
妖怪が居る所には人が集まる。と、誰かが言ったかどうだか知らないけれど、今日もオパールは大忙しだった。妖怪効果か。妖怪万歳!
小川顕太郎 Original:2000-Aug-6;