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 Diary 2000・4月14日(FRI.)

犯罪的/クリエイター幻想

 オイシンが自分の元教え子という男の子を連れて来店。教え子? なんとオイシンはかつて塾で教えていた事があるという。もちろんアルバイトだが、英語や国語! まで教えていたというから驚く。

 まともに文章を読むことも書くこともできず、それどころか考える事も出来ない、ばかりか言葉や文学作品に対する知識もほとんどないオイシンが、国語を教えていたのだ。本人は軽い金稼ぎのつもりだったのかもしれないが、これはほとんど犯罪的行為ではないか。

「教育」というものがどれほど重要なものか、少しでも考えたことがあるのだろうか。まず 100 %ないだろう。オイシンのことだから、やっていい事と悪い事の区別がつかなかったのだろうが、オパール道場に通 っている以上は、以後このような行為は厳禁する。それともうひとつ。何度言っても分からないようだから、もう一度ここで繰り返すが、オイシン、クリエイター幻想を捨てろ。

 最近は「クリエイター」といえば「馬鹿」の事を指すといった暗黙の了解ができつつあるようだ。これは何もクリエイターの人々がみんな馬鹿だという訳ではなく、何故だか「馬鹿」の人々が大挙してクリエイターを名乗る/名乗りたがるから、こういったイメージが出来つつあるのだ。「何故だか」と書いたが、実はこの理由は容易に想像がつく。

 ここでいう「クリエイター」とは、主に「デザイナー」を指すのだが、これを「コピーライター」と置き換えれば、80 年代から繰り返されてきたおなじみの構図だからだ。つまりなんか格好良くて楽して儲かる仕事をやりたいんだけれど、「根性がない」し「わがまま」だから人に使われるのは嫌、でも「馬鹿」だから実力をはっきり問われる分野では働けない、といった人達が、基準がはっきりせず自他ともごまかせそうな分野に流れた結果が、この「クリエイター」ブームなのだ。実際のところ「コピー」にしても「デザイン」にしてもはっきりとした基準がない。いや、実は厳然と優劣はあるのだが、クライアントがそれを分かっていない場合が多々あるので、ごまかしがかなり効く分野なのだ。

 でもなオイシン、その「ごまかし」もそんなに長くは効かないし、また「ごまかし」を効かすにもやっぱり頭の良さが必要なんだ。これは自信を持って断言するが、オイシンが「クリエイター」になるのは 200 %無理だ。「頭脳」も「才能」も「技術」も決定的に不足している。そして「頭脳」や「才能」は努力だけではどうしようもないものなんだ。

 それでもどうしてもデザインの仕事がしたいのなら、何度も言っているが、とにかく「技術」を磨いて、「クリエイター」ではなく「職人」を目指すしかないだろう。「アーティスト」ではなく「アルチザン」を。世の中にはデザインをする所なんていっぱいある。例えばババさんのように、選挙用ポスターをデザインするのだって立派なデザインだ。というか、本当はそういった目立たない・名前がでない仕事こそが、文化を支えているのだ。そういった仕事こそが「地の塩」なのだ。だからオイシンも何らかの会社・組織に入って、地道に修行を積み働くのが一番いい、と私は思う。それしかオイシンがデザイナーとして生き残る道はないと思うぞ。

 ところでババさんとも話していたのだが、このクリエイターブームはアメリカの陰謀ではないだろうか? このブームのせいで若者達が地道に働こうとせず、日本の不況は長引くばかり。文化の質も落ちる一方。こうなればいっそのこと憲法を改正して徴兵制を復活し、「クリエイター」を名乗る 30 歳以下の若者を全部軍隊にたたき込んで鍛え直すしか日本に未来はないのではないか。って、別に日本に未来がなくてもかまわないのだが。

小川顕太郎 Original:2000-Apr-9;