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Mondo Planet

帰ってきたモンド惑星

Mondo Planet Returns 2003・2月21日(FRI.)

テレビが小さくなる日

 約一年ぶりの帰省である。2 月 10 日、私は飛行機で函館空港へ降り立った。いつものことだが、空港には両親が迎えに来ていた。父はいつも私のボストンバッグを持とうと手を出していたが、常に私が断っていたので今回は手を出さなかった。空港の「トイレ掃除がいつになっても終わらない」と愚痴っていた父は違うトイレで用を済まし、未だ掃除が終わらないオバチャンらに向かって「いつまでやってんだ!」と捨てセリフを残し空港を後にした。いくつになってもたくましい親父だ。

 空港から函館市内を抜けて 20 分程行った所に私の実家がある、といっても父が 10 年前に定年退職して建てた家なので私は住んだことがない。そしてここを訪れるのも 5 回目位なのである。

 家に着くと、「おまえが来るのを待ってたんだ」と父はテレビのスイッチをいれた。これも新築時に気が大きくなって買った 29 インチテレビ。そして今映っている映像はおもいっきり緑色している。一ヶ月程前からこの状態だそうだ。小さい頃から機械をいじくるのが好きだった私にこのテレビが治せると思っていたらしい。

 私も一応いろいろといじってみたが明らかにブラウン管の寿命のようだ。

「新しいの買った方がいいよ」と私が言い、結局そうすることにした。「よし、今行くぞ、オレが値切ってやるから」と、家に着いて 15 分も経ってないが、家に長くいればいる程腰が重くなるので、父をけしかけた。

「関西だけじゃないの? 値切るのは」と母は言うが、「言ったら 10 円でも安くなる、絶対!」と、何故か私には自信があった、田舎者は気が弱い(弱そうだ)から強気には弱いだろうという目論みだ。

「もう 25 インチでいんでねえか」、父は私に向かってこんなことを言い出す。「オレが見る訳じゃないけど、お父さん、映画観るンだから、字幕が小さくなったら困るだろ」、確かに一軒家といっても、リビングは六畳程度で 25 インチもあれば充分とも思えるが、父は映画好きで、TV TARO という雑誌を定期的に買って BS2 の番組欄で映画があれば全部に赤鉛筆で印を付け予約録画し、毎日昼食後に観るのが日課だそうな。そんな父に寂しい思いはさせたくないし、心臓の障害の影響で目も悪くなっているらしい。私は強く 29 インチにするよう薦めた。母は食事時以外はほとんど家事か洋裁をしておりラジオばかり聴いているから TV の大きさなんてどうでも良い、14 インチでもかまわないだろうが、やはり私の意見には同調していた。別に金が無い訳じゃないんだし。

 家から 15 分位の所に広い敷地面積で 2 階建の電器屋がある。2 階にはトイザラスがあって、田舎にしてはかなり大きい。

 私達 3 人は一直線にテレビ売り場へ向かった。壁一面に 29 インチ以上の大型、手前の低い棚には 25 インチ以下のテレビ、テレビデオ。さすがに 29 インチはでかい、最近のはフラット画面で余計でかく見える。しかし 29 インチを買うことは決まっているのだ。父は「やっぱり 25 インチでいいんでねえかなあ」と言っていたが、「いや、29 がいい、いままでといっしょがいい」と私は父に言い聞かせた。

 さて、年寄り二人とオッサン一人がテレビ売り場に立ってる。誰が見ても購入率 80 %。しかし、誰一人店員が寄って来ない、売る気がないのか? 店内を見回してもレジ担当の女性以外に店員がいないのだ。向こうからアタックしてこないと、こっちも値切る体制に入れないじゃないか。私は奥のサービス・カウンターという場所へ誰かを呼びに行くと、そこには 5 〜 6 人の店員がたむろしているのだ。関西の電器屋では考えられない光景だ。いや、関西だけではないだろう。とりあえず一人の店員をテレビ売り場へ連れて行く途中、古いテレビを無料で引き取ってもらうよう交渉し、大型テレビ売り場へ到着(ほんとに広いのだ)。が、しかし、そこには両親はおらず、25 インチ以下の売り場で父がまだ小さいテレビにこだわっていた。それを無視して店員と一緒に大型テレビ売り場へ行き最初に目を付けた TOSHIBA の 29 インチの値段交渉に挑む。表示価格 56,800 円(特価で)。「これいくらまで下がりますか?」と先制。すると店員は電卓をパチパチ「5 万…1 千円ですねぇ」、いっ、いきなり 5 千円以上も下げる? 段階踏まなくていいのかよ! と思いながら、「4 万円台になりませんか?」、と当然返す。「いやぁ、それだと原価割れしちゃいますねぇ」、ってそんなわけないだろうが、両親が今後来難くなるのを恐れて私は 51,000 円で手を打つことにした。まったく、売る気も無ければ買う楽しみも与えてくれない、だから北海道は不景気なんだ、後に私はそう思った。

 そのやりとりを少し離れて見ていた両親、二人は電器屋で値切るオオサカのオバチャンをワイドショウかなにかで見たきり生で見るのは始めてで少しうろたえ気味。私は「あれ、51,000 円になったぞ」というと、かなり興奮気味。父はそのテレビの前に立って「よし、これに決めた!」と大声でセリフ口調、母はその場で財布から現金出そうとする始末。無表情の店員が笑いをこらえているのを私は見逃さなかった。テレビは二日後、私が京都へ戻る前日の配達となった。

 父の運転で自宅へ急いだが、走り慣れた地元の道を間違え 2 倍の時間がかかった。

 その夜、家族でいろいろ雑談している最中に父はいつのまにか安楽椅子に座ったまま眠っていた。母が「もう 70 歳だもんんねぇ」と言った。「え〜っ」私が聞き返すと、「そうだよ、この六月の誕生日で 70 歳になるんだよ」と母が応えた。私は大きな勘違いをしていたのだ。定年退職しておよそ 10 年で 70 歳というのはあたりまえなのに、私はまだ 67 〜 8 歳だと思い込んでいたのだ。たかが 2 〜 3 歳の間違えとはいえ、私には大きな違いだった。70 といえばもうオジイサンの年令じゃないか。訳のわからないショックが私の胸を締め付けた。と、同時にさっきの事を思い出したのだった。「もう 25 インチでいんでねえか」、という父の気持ち、住んでいる訳でもない私に言ったその意味がなんとなくわかるような気がした。実は母に向かって言っていたんじゃないかな、父もいろんなことを考えてるんだなぁ、と思っているうちなんだか悲しくなってきた。

 私は必死に新聞を読むふりをしていた。大きなテレビ台の上には他の部屋にあった 14 インチが置かれていた。

 二日後の昼、新しいテレビが到着した。一日とちょっとの間 14 インチを見ていた我々は 29 インチの巨大さを実感したのだった。「やっぱり字が見やすい」と番組のテロップなどを見ながら父は言った。三人であ〜だこ〜だと大きなテレビを大絶賛しているうち、いつのまにか 29 インチってどこの寸法かという話になり、母が洋裁用のメジャーを持って来た。縦横斜めと計って、斜めの対角線の寸法ということがわかり、またもやどうでもいいことに感心し合ったのだった。

 29 インチにして良かったと思った。また壊れたら一緒に行って 29 インチ、いや、それ以上のでも、値切って安く買うぞ。

 できればいつまでも壊れないでいて欲しいが。

(ロマンザ/松山禎弘

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