パッチギ!
MOVIXにて『パッチギ!』を観る。1968年の京都が舞台。在日朝鮮人の高校生たちと日本人の高校生たちによる恋と喧嘩とエトセトラ。監督はこのテのフッドもんを撮らせたら日本一の井筒和幸。となれば、観る前から傑作が約束されたやうなものだが、いざ蓋を開けてみると…やはり傑作であつた。
ストーリーはベタかつ安易で、ラストの展開なんて些か、どころか大いに強引なのだけれど、映画そのものの持つエネルギーによつて、それらが全てプラスへと転化してゐる。京都に住む人間にとつては、随所に出てくる見慣れた風景は思はず笑つてしまふほど楽しいが、そんな事より、役者の人たちがみんな素晴らしい! 特に在日の人たちを演じる役者陣の魅力と存在感は半端でなく、ズウッとこのままこの映画を観てゐたい、と何度も思つた。
かなりラフに、様々なエピソードをぶち込んで作られた映画であるが、1本の太いテーマが貫通してゐるので、全体としてはビシッと締まつた印象だ。そのテーマとは“川”である。物事の境界を画するものとしての“川”、それを超えていくものとしての“川”。この映画では何度も何度も『イムジン川』が流れるが、イムジン川とは、もちろん朝鮮半島を南北に分断する川のことである。北朝鮮と韓国の間に流れる川。そして、日本人と在日の人たちの間に流れる川。少年は好きな少女に会ふために川を渡り、少年達は殴り合ふために川を渡る「パッチギ」とは韓国語(朝鮮語?)で「頭突き」のことらしく、といふ事は「パチキ」とは「パッチギ」からきてゐたのか! と感動したのだけれど、それはともかく、「頭突き」以外にも「突破する」「超えていく」といつた意味があるやうで、つまり“川”を超える、といふ事である。これは“川”を超える映画なのだ。普遍的でアクチュアルな映画と言へるだらう。私は、昨年観た映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を卒然と思ひ出してゐた。あの映画でも、クライマックスで若き日のゲバラが真夜中のアマゾン川を泳いで渡り、虐げられた者たち、差別された者たちのところへいく感動的なシーンがある。ゲバラもパッチギッたのである。若さとは、パッチギるエネルギーのことだ。アマゾン川を、イムジン川を、ルビコン川を、鴨川を、全ての川をパッチギれ!!!
明石散人や副島隆彦など、現代の優れた、といふか神がかつた知性によると、今年か来年あたりで、日本はその成長のサイクルを一旦終へるさうである。つまり、また新たな成長のサイクルがやつてくるのだ。時代が、新しく始まらうとしてゐる。若い時代にとつて必要なもの、それこそパッチギるエネルギーだ。この映画は、正に出るべくして出た、時代を画する・予言する映画なのである。
Are you ready for パッチギ?
小川顕太郎 Original: 2005-Jan-30;